2014.07.20-24宇島滞在記
20日 入港。電話したら旧友の直が迎えに来て車で中津に送ってくれた。旧友正巳が合流しあっという間にホテルの手配をしてくれた。チェックイン後自転車がないと不便だと気付き電車で宇島に自転車を取りに戻る。駅から漁港まで歩いたのだがひどく遠く感じた。暑かったからかもしれないが…。
21日 小今井潤治生誕200年祭実行委員会関係者※から電話あり案内してくれるというので自転車持参で電車で宇島に行き、自転車を組み立てて待ち合わせの神社に行く。約2時間ほど案内してくれた。漁港で解散になったのだが海の日で漁協は休みで挨拶できず。
午後、自転車を中津に持ち帰りおふくろの病院へ。その間、コインランドリーと病院を行き来しながら洗濯をすます。
22日 旧友正巳の車でヨットに行きオヤジの遺品の板を耶馬渓に運ぶ。いったんホテルに戻り午後おふくろの病院へ。思いがけず旧友の節子がおふくろの病院に見舞いに来てくれて再会。
23日ホテルチェックアウト。耶馬渓鉄道展を風物館でやってるというのを新聞で知り、どうしても見たくてタクシーで見に行った。期待したほどじゃなくちょっと残念。
中津に戻り、ホテルに預けていた自転車と荷物を受け取って電車で宇島へ。漁協に行きお礼。
当初は宇島で3泊もすれば十分疲れが取れると思った。しかし、見知らぬ土地なら3泊で十分だったかもしれないが自分が生まれ育ったところに3泊というのは短すぎた。この点は完璧な思い違いで、ここでは用事だけすませて別の港に入ってしっかり休養する計画を立てるべきだった。
忙しくてまったく疲れが取れないことにあせって、それが疲れを増幅させてしまった。疲れるとろくなことはない。綱不知で6泊も台風避難してるし、これからまだ何回台風と遭遇するか分からないなという思いも加わって、あれほど入念に計画した宇和海への航海を断念してしまった。
出港準備
エンジンオイルチェックしオイル交換。0.7ℓしか残ってなかったので、全部出して1.3ℓ入れる。
潜ってペラチェック。異常なし。藻の付着も無し。
GSに給油を依頼。ヨットまで運んでくれた。
水は漁協事務所近くの水道でポリタンに給水して運ぶ。
漁協の事務の方はフレンドリーで大変親切だった。
風呂と買い物と夕食:自転車で天狗の湯という日帰り温泉へ。スーパーで買い物も済ます。雨が降りそうだったので食事をせずにコンビニでお弁当を買って大急ぎでヨットに戻る。なんとか間に合った。旧友の直から電話ありお守りを持って行けと持ってきてくれた。
※今回宇島に寄港したのは、中津出身で、宇島港をベースに瀬戸内海航路の海運業で成功した廻船問屋小今井潤治の足跡をたどりたかったからだ。
◆一時代を築いた宇島の豪商「万屋」小今井潤治◆豊前市HPより
上毛郡小祝村(現;大分県中津市小祝)に生まれ、藩の移住政策により宇島村(現;豊前市宇島)に移り住みます。後に親戚筋の万屋の後を継いで米穀商と酒造業を営むようになり、宇島港を拠点に愛媛や関西の大阪・兵庫での商いに励み財を成します。行事村(現;行橋市行事)の飴屋とともに藩の財政を支えるほどの豪商となり格式大庄屋、上毛郡御蔵本(年貢の管理)などの役職を務め、ついには上毛郡限り通用の私札“万屋札”の発行を許されるまでになります。
明治維新で宇島港の管理は地元負担となり、後に郡役所の管理となるまでの約30年間、万屋は私財をなげうって港の維持、修理に当たります。さらに施療病院の開業など、地域への貢献は計り知れないものがありました。
また、信仰心に厚い小今井は教円寺をはじめ多くの寺院に寄附を行い、堂宇の建て替えなどに尽力します。そして、ついには浄土真宗の私立大教校「乗桂校」を設立し、周辺1,500人余の僧侶がここに学んだと言います。
近代化が至上命題であった時代、地域の重要公共施設であった宇島港を今に伝えた功績と、地域の人材育成にかけた情熱は今も高く評価されています。

